寝てる先輩のパンツの脇から挿入

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画像はイメージです
私の家は母子家庭で、母、兄、私の3人暮らしでした。
父が蒸発してからウチの家計には余裕がなく、居間と小部屋の二部屋しかないようなボロアパートに住んでいました。
兄は軽度の知的障害を持っており、その奇行に悩まされたことが何度もあります。

中でも私の人生・人格を壊されたと言っても過言ではない出来事がありました。
それは兄が思春期に入り自慰を覚えたことです。
健康な男児であればオナニーは誰でもすることだと思います。


しかし、問題は私の目の前でも平然とその行為をすることでした。
部屋は二つしかありませんでしたので当然子供部屋は私と兄の共同で使っていました。
兄は私が部屋にいても躊躇いなくズボンを脱ぎ当然の如くオナニーを始めます。

私は当時小学校三年生で兄のしていることをよく理解していませんでしたが、変形した泌尿器を弄りながら鼻息を荒くしている様子はやはり異様で、兄のその行為を見るのが苦痛でたまりませんでした。
何をしているのかと質問したり、その行為をまじまじと観察したりすると兄は機嫌を損ねます。

また、やめて欲しいと言っても同様で何度要望しても私の話には耳を貸してくれませんでした。
仕方が無いので母から言ってもらおうと事の次第を伝えました。
最初こそ母も真剣に注意していましたが、それでも兄は従わず最終的には母もさじを投げました。

食事中と来客中と家の外では絶対にしないという条件の下、兄の行為は黙認されり、状況は全く改善されませんでした。
最初こそ嫌で嫌でたまりませんでしたが、しかし2年3年と経つうちに兄の自慰行為は私の中で極普通の生活風景と認識されるようになりました。

そして私の性に対する羞恥心や罪悪感も異常な環境で育ったせいか、いつしか完全に消え去っていたようです。
私が思春期を向かえ自分の性に関心を持つようになる頃には、あろうことか私も兄と同じような行動をとるようになっていました。
気が向きさえすれば家族の前でも平気でオナニーにふけっていました。

今思い起こせば異常としか言いようが無い状況下でのオナニーが私達にとっては普通だったのです。
兄がオナニーをしているすぐ後ろで私も同じ行為に励んでいたり、三人で普通にテレビを見ているときに私一人がパンツを片足にかけ身体をビクビク痙攣させながら絶頂に達したりなど、そのようなシチュエーションが数え切れないほどありました。
そんな私を母は一度だけ注意したことがありました。

私と母が珍しく二人っきりになっていた時です。
この時も私は食事の支度をしている母を背にテレビを見ながらオナニーをしていました。
母は「女の子が人前でそんなことしちゃ恥ずかしいよ」と遠回しな注意しました。

私が「お兄ちゃんだってしてるじゃん」と言い返すと、問題の根本に触れることを恐れた母は口を紡ぎました。
健常者の私が障害者の兄に影響されたことを、母は多少なりとも後悔していたんでしょうね。
普通の親ならもっとちゃんとした対処をとったのでしょうが、今思えば女手一つで二人の子供を育てるということと、兄の障害のことに対するストレスで母もおかしくなっていたんだと思います。

そのような状況が中学校3年生まで続いたある日のことです。
私はその日、唯一の親友であるY子と珍しく猥談に花を咲かせていました。

そして話がオナニーの話題に差し掛かったころ「親にばれるのが怖くてなかなか集中できない」とY子がぼやきました。
私はなんの気なしに「私はお母さんとお兄ちゃんの前なら別に気にしないけど」と返しました。
その途端Y子は言葉を失い仰々しい目付きで私の顔を覗き込んだのです。

私はY子がそこまで驚いている理由がわからず「え、どうしたの?」と聞き返しましたが、Y子は言葉に詰まり二人の間にしばらく微妙な空気が流れました。

Y子に私と兄のオナニーについて説明しましたが、説明すればするほどY子の顔は唖然としていきました。
私としては家族の前でオナニーを隠さないことが言葉を失うほど異常なことなのかと、しばらく半信半疑でしたが1時間ほど議論した結果、家族の間でもオナニーを見られることは恥ずかしいことなのだと、普通ではないと説得されました。
私は自分の常識が覆されたというカルチャーショックと、ウチの家族が変態扱いされるのではないかという恐怖心から思いっきり泣き出してしまいました。

その状況を見て先ほど異常に驚いた親友が、私の肩をなでながら「大丈夫だよ、誰にも言わないから」となだめてくれました。
完全にパニック状態でした。
私はどうしてあの家に生まれてきたのか、何故あんな兄と母と一緒に生活しているのかと本気で家族を呪いました。
その状況を見てY子は今日は泊まっていきなよと勧めてくれました。

私としても帰って兄と母の顔をまともに見れる状況では無かったのでそのY子の心遣いが本当にありがたかったです。
あれ以来、私は露骨に兄をさけるようになり、家にもあまり寄り付かなくなりました。
家族との衝突も多くなりましたし、その時出来た溝は今でも埋まっていません。
一度兄に最近オナニーしなくなったなと指摘された時は本気で殺してやろうかとも思いましたね。

ちなみに兄のことを障害者だと聞かされたのは私が実家を離れるときでした。
薄々感じていた謎の正体がようやくはっきりしたわけですが、そのときの私はただただ呆れるしかありませんでした。
母としては兄を健常者と同じように育てていきたかったという願望と、障害者である事実を認めたくなかったという現実逃避から私に障害のことは黙っていたようです。

兄も同様に自分の障害のことはよく理解していなかったのでしょう。
私自身、常識観念を大きく狂わされたわけですし当時の事に関してはちゃんと注意して欲しかったと今でも思っています。
母と兄は現在もあのアパートで暮していて、生活保護を受けながら細々と暮していると聞きます。
私を産んで育ててくれた母には申し訳ないですが、出来ることならもうこの先実家には関わらずに生きていきたいです。

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